2010年01月07日

河口湖町日本一

山梨県の河口湖町は日本一水道料金が安い!

電気・ガス・水道と・・・生活に欠かせない光熱費だが
水道料金は都市によって格差が大きい。
お宅の水道料金は一月幾ら?
と昨日も同じ事を書いた・・・・・
山梨県まの河口湖町は富士山の恩恵を受け、
湧き水が豊富だからだそうだ。
日本一水道料金の高い北海道羅臼町と比べると
約10分の1の価格だ!
羅臼町の人が1ヶ月 5000円なら
河口湖町の人は500円・・・って事になる。
羨ましい。
【関連する記事】
posted by KANCHI at 10:07| 山梨県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月06日

羅臼町日本一

北海道の羅臼町は日本一水道料金が高い!

電気・ガス・水道と・・・生活に欠かせない光熱費だが
水道料金は都市によって格差が大きい。
お宅の水道料金は一月幾ら?
大概 水道料金は2ヶ月に一度で請求されるが
北海道の羅臼町は日本一 水道料金が高いため
一月毎になっている。
日本一 水道料金の安い 山梨県河口湖町と比べると
約10倍の価格だ!
なぜ・・・高いのか?と言うと
羅臼町はとても細長い町・・・水道管が62キロに及ぶ。
その上 住宅が密集していないため
1建のお宅に水道を引くたびに
大変な工事が必要となるからだそうだ!
posted by KANCHI at 09:38| 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月05日

東京の地名ゆらい

地名の起こりは限りなくある。例えば東京・・・
京(京都)に対抗して東の京都で「東京都」
かなり当たり前。常識だよね!

寅さんで有名で初詣の人で賑わう「葛飾」は
昔 葛の花が多く咲いていたとか・・・

足立はヤマトタケルノミコトが旅の途中
怪我していた足をこの地で治し・・・
足が立った事から「足立」

東京駅のある八重洲は江戸時代 徳川家康の通訳を務めた
ヤン・ヨーステンが住んでいた場所
通称 ヤヨスに漢字を当て嵌めて「八重洲」だそうだ!
posted by KANCHI at 09:55| 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月10日

はらこ蕎麦

岩手県宮古市周辺の食の秘密
テレビ見逃したバスガイドさんへ
今週の秘密のケンミンSHOW
岩手県宮古市周辺の岩手県民は「かけそば」「煮込みうどん」「味噌汁」に
自家製いくらを入れて食べる!
岩手県は北海道に次ぐシャケの産地
各家庭ではシャケを1匹買って来て 筋子をさばいて
みりん・酒・醤油で味付けし
熱々のかけそばなどにいくらを乗せて食べるそうです。
蕎麦にいくらは絡まないが半熟のいくらの食感を楽しむ!
posted by KANCHI at 21:29| 岩手県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月01日

福島県の三泣き

福島県には「福島の3泣き」という言葉があります。
この「3泣き」には2つの説があるの・・・

昔、この地方は開拓地として有名で、出稼ぎの土地。
開拓さけていない土地に全国から人を集め、田畑をつくり、
道路をつくり、街をつくってもらう土地の事。
だから、仕事を失った多くの人達が全国から
「会津に行けば仕事がある」という理由でやって来ました。
そのため、知らない土地で家族と離れ仕事をする人達は、
その寂しさ、そして厳しさに1度目の涙 を流します。
そして地元福島の人達の優しさに触れ、
2度目の涙 を流します。
最後には仕事を終え、この会津の土地を離れる時、
慣れ親しんだ人達や土地との別れが悲しくて
3度目の涙 を流すそうです。
これが1つ目の「3泣き説」。

そして2つ目の説が、福島に伝わる 悲しいお話し(実話)です。

・伝記で有名な「野口英世」物語
・高村光太郎が病気の妻を描いた「千恵子抄」
・会津藩の悲劇「白虎隊」
の「3泣き」です。
「白虎隊」はその 「福島の3泣き」 の1つ。
会津で代表的な物語。

徳川幕府の時代が終り、日本が大きく変わろうとしていた時代に
誠実であったが為に巻き込まれ、
皮肉な運命をたどった会津藩の物語です。
「白虎隊」を勉強しよう!というサイト
http://byakkotai.seesaa.net/
これから少しずつ白虎隊についてお話しします。
posted by KANCHI at 00:49| 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月03日

福島県のダムと電力

只見ダム

・昭和22年には只見電源開発計画が発表されました。
只見に20箇所のダムを建設し、230万キロワットの電力を産み出す計画で、昭和29年11月には工事が始まりました。
冬には積雪が3mを越える只見地区は直ぐに凍結してしまう事から、工事は24時間3交代で休む事無く続けられました。

当時、田子倉地区には50戸300余人が生活していましたが、大竹知事じきじきに足を運び、
10億円を越える保証金を立てた 「 立ち退き交渉 」 が進められました。
最後まで反対運動を続けた 皆川恒二 ( にながわ つねじ ) さん達 5人は自らを「5人の侍」と呼び、立ち退き拒否を続けましたが、
昭和31年7月24日、遂に 「 立ち退き調停書 」 調印 となりました。

昭和36年 田子倉発電所は完成し、首都圏に電力を供給しています。

--------------------------------------------------------------------------------

原子力

・昭和42年に福島第2原子力発電所の建設が始まり、昭和46年には一号機の運転が始まりました。
昭和48年には廃液が漏れ出す事故が起きました。
現在は大小合わせて10基の原子力発電所があります。
posted by KANCHI at 13:04| Comment(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福島県の歴史

戦争

・昭和16年太平洋戦争突入。福島県内からは 20 万余人が出兵。
昭和19年には学童疎開が全国で始まり、福島県にも3万人もの子供たちが送られてた。

・昭和19年 夏からは全国に激しい空襲が.......そして福島県内にも。
特に軍事工場のあった郡山には3回の空襲があり、600余人が亡くなりました。
posted by KANCHI at 13:02| Comment(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福島県の産業

炭田

・常磐炭田は江戸時代の後期に発見された炭田で、いわきは炭鉱の町として発展しました。
・常磐炭田の石炭は不純物が多く、質の悪い石炭でしたが、首都圏から近く、輸送のコストが安く済む事から需要が伸び、
明治31年の常磐線開通によりさらに発展。炭鉱には全国から多くの出稼ぎ人が集まりました。
それまでは馬で港まで運び、船を利用して東京へ運んでいました。
炭鉱に働く人々の為の住宅 「 炭住 」 の住民は明治37年には3000人余、
それが大正には15000人余に増え賑わいました。

・昭和12 (1937) 年 日中戦争勃発。常磐炭田からも600人が出兵しました。
常磐炭田でも軍事産業を支えるエネルギーとして増産が求められ、残された女性たちによって総動員体制が取られた。
慣れない作業に事故も多く、1年で 100 余人の死者が.........。

・戦後、石炭は石油の時代へと変わり..........衰退。

・常磐炭田は1トンの石炭を掘るのに60トンの温泉が出る為、悩みの種でしたが、昭和のなかばに
この温泉を観光に利用しました。
昭和41年(1966)には常磐ハワイアンセンターがオープンし年間100万人が訪れました。
炭鉱に働いていた娘達が、ハワイアンのダンサーとして活躍しました。
・常磐炭鉱は昭和35年より人員削減が行われ、昭和51年には最期の炭鉱が閉山となりました。
posted by KANCHI at 13:00| Comment(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福島県の鉄道

鉄道

・福島県の鉄道は、明治20年に東北線、明治32年に奥羽線、明治31年に常磐線が開通しました。
東北新幹線が開通したのは昭和57年です。県の南部から首都圏までが1時間余りで結ばれました。
ちなみに県内の東北自動車道は昭和50年に全線開通しました。
posted by KANCHI at 12:58| Comment(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福島県の農業

養蚕大国から果物大国へ

・福島市を中心とする 福島盆地 は 桃、梨、林檎などの果樹栽培が盛んで 「 果物大国 」 と呼ばれています。

大正時代、福島盆地には桑畑が広がり、養蚕が盛んな土地でした。
明治から大正に掛けて福島の生糸は国際的商品として活躍しました。
「 蚕種屋 ( さんたねや ) 」と呼ばれる農家に蚕の種を売る業者が800軒あり品種改良を行ってきました。
養蚕農家に対して指導も行い、蚕部屋の温度の管理から、桑の葉を与える回数まで記された
細かなマニュアル 「 蚕當計秘訣 ( さんとうけいひけつ ) 」 まで作成されました。

・明治32 (1899)年には 取引に必要な現金を確保するため東北初の日本銀行の出張所まで置かれ、
開設時に、当時の県予算額と同じ105万円が置かれました。

しかし、昭和4年に世界恐慌が起こり、その影響で生糸は半額以下まで値を下げました。
取引先を失った銀行は次々と潰れ、当時福島に 42 軒もあった銀行は 11 軒にまで減少しました。
続けて昭和6年には冷害の影響で凶作となり、養蚕に見切りをつけた農家は果樹栽培へと力を注ぐ事となったのです。
posted by KANCHI at 12:56| Comment(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。