2008年11月03日

福島県の産業

炭田

・常磐炭田は江戸時代の後期に発見された炭田で、いわきは炭鉱の町として発展しました。
・常磐炭田の石炭は不純物が多く、質の悪い石炭でしたが、首都圏から近く、輸送のコストが安く済む事から需要が伸び、
明治31年の常磐線開通によりさらに発展。炭鉱には全国から多くの出稼ぎ人が集まりました。
それまでは馬で港まで運び、船を利用して東京へ運んでいました。
炭鉱に働く人々の為の住宅 「 炭住 」 の住民は明治37年には3000人余、
それが大正には15000人余に増え賑わいました。

・昭和12 (1937) 年 日中戦争勃発。常磐炭田からも600人が出兵しました。
常磐炭田でも軍事産業を支えるエネルギーとして増産が求められ、残された女性たちによって総動員体制が取られた。
慣れない作業に事故も多く、1年で 100 余人の死者が.........。

・戦後、石炭は石油の時代へと変わり..........衰退。

・常磐炭田は1トンの石炭を掘るのに60トンの温泉が出る為、悩みの種でしたが、昭和のなかばに
この温泉を観光に利用しました。
昭和41年(1966)には常磐ハワイアンセンターがオープンし年間100万人が訪れました。
炭鉱に働いていた娘達が、ハワイアンのダンサーとして活躍しました。
・常磐炭鉱は昭和35年より人員削減が行われ、昭和51年には最期の炭鉱が閉山となりました。
posted by KANCHI at 13:00| Comment(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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